【Blog】メディアリテラシーとジャーナリズム

父親はジャーナリストだったんですが、昔は取材でその筋のヒトから町中を追いかけ回されたり嫌がらせを受けたり色々と嫌な想いをしたらしい。
っていうのを楽しそうに語っているのを見て、「あぁ流石ボクの父親だ。Mの血が流れとる」と思ったり思わなかったり。

小学生の頃の話しです。今でもはっきりと覚えているのですが、授業で下の写真をみせられました。

先生からこの写真を見て、ジャーナリストはこの写真を撮るべきだったのかそれとも少女を助けるべきだったのかという議論をやりました。
クラスの中でただ一人ボクは「写真を撮るべきだった」と答え、クラス中、先生すら敵に回したのを覚えています。
みんな子供だったので、みんな平気で罵詈雑言をボクに浴びせてました。
冷たい人間だ、とか、人としてこんな状況を撮るなんて間違っている。とか。
家に帰ってその話しをしたときに父曰く「真実を伝えて社会を動かすのがジャーナリストの仕事だ。彼はその為に現場にいるのだから写真を撮らなかったらそれこそ社会に対しての背信行為だ。」と言っていました。
(子供のときに話してくれたことなので、もうすかしわかりやすい言葉でしたが。)

正直、ボクにはジャーナリズムと言う物がよくわかりません。
海外の大学ではジャーナリズムを勉強できる大学があるそうですが、今の日本にはちゃんとジャーナリズムを学んだジャーナリストは少ないように感じます。
ちょっと前に書いたブログの記事でも触れましたが、低俗な叩きをする文章を平気で書いたり、自分の意見をはっきり言わずお茶を濁して深入りしなかったり。そういう人たちがマスコミで報道をしている現実がなんだか悲しく思えます。
日本のマスコミにメディアリテラシーが欠落しているからバイアスのかかった低俗な情報を垂れ流す報道しか出来ていないのだと思う訳です。
よくネットなどで「新聞やテレビが報道できないタブー」なんて物を目にする機会がありますが、それすら低きに流れるバイアスがかかっていて幻滅する訳です。

そのマスコミにいた父親も同じ穴の狢なのかな。
まあ、子供の前では理想論を語りたくなっちゃいますよね。
おかげで変な人間に育ちましたが。

先月の11日頃に東日本大震災の報道特集をやっていましたが、津波に巻き込まれる人たちが写るタイミングでカメラを別の方向に向けるのはジャーナリスト的にまずい気がしました。
BBCとかじゃウクライナでスナイパーに銃撃される人をちゃんとカメラで追っているのを見て、日本とのこの違い差は何なんだろうと感じたのです。
世の中にを目をそらしたいけどそらしちゃいけないことがたくさんあると思う訳です。
報道って言うのは誰もが楽しめるエンターテイメントとは対局のもののような気がします。
人の不幸は蜜の味を地でいっているメディアにはがっかりします。
所謂スクープと呼ばれるものも、少し離れてみてるとどうでも良い醜聞ばかりのような気がするのですが・・・

上の「ハゲワシと少女」には賛否両論、色々あると思いますが、少なくともジャーナリズムとしては良いことだと思うし、受信者・発信者のメディアリテラシーがしっかりしていれば感情的になることなんて無いはずです。
常々言っている気がしますが、過ぎたことの悪を論じるよりも、これからの改善策を各々が考える事が重要で、メディアにはそういう姿勢が少し欠けている気がします。
だから陰湿だなって思うし、テレビで報道番組を見てると悲しい気分になるのです。
そういう報道を喜ぶ視聴者側もどうかと思うのですがね。

最近の日本とパクス・ロマーナの頃のローマ帝国が被ります。
嫌なことには蓋をして、風紀が乱れ快楽に走り堕落・衰退していかないことを切に願います。
もう衰退は始まっている気がしますが。

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