若い頃に「偽善」という言葉を使いたがる習性について

偽善(ぎぜん)とは、善良であると偽ることをいう。また、これを行う者は偽善者とよばれる。外面的には善い行為に見えても、それが本心や良心からではなく、虚栄心や利己心などから行われる事を指している。腹黒いやゴマすりや食わせ物という表現もある。 また、偽善者と偽君子(ぎくんし) / 似非君子(えせくんし)の表現(意味)を誤って(混同して)使われている場合がある。和英辞書では偽君子(snob)も hypocrite とされている場合がある。
Wikipediaより引用

ボクもこの歳(三十路)になって色々と丸くなったと思いますが、納得がいかないこと、釈然としないこと、不快になってしまうことがいくつかあります。
特に言われて気分を害するのが「やらない善よりやる偽善」とかですかね。
虫酸が走ります。
20代後半にもなってまだこんなことをのたまっておられる方がいらっしゃることに愕然とします。(長ったらしい尊敬語を使っているのは皮肉です)
特に酷かったのが一昨年の東日本大震災後、同年代と思しき人たちが「やらない善よりやる偽善(キリッ」とかネット上に書き込みをしていたことです。

高校生くらいならまだ「ああ、可愛いな」とか思えます。
大学2回生くらいでは「まあ、ボクも成熟が遅かったしよくわかる」と思ったりします。
社会人2〜3年目になると「もうそろそろ卒業したほうが良いと思いますよ」と思い始めます。
さすがにもう30代に差し掛かるいい歳した大人がそんな考え方をしてるのかと思い、寒気がしました。

この言葉の何が嫌かと言うと
別に良いと思ったことならやれば良いじゃねぇか。
偽善って言葉で逃げ道作ろうとしてんじゃねぇよ。
と思うからです。

自分がよかれと思ってやったことに対する批判をかわす為の方便にしか聞こえないという。
良いと思ってやったことなら胸をはっても良いと思うし、もし何かしらの問題を指摘されるまで気づけなかったとしても、問題が分かれば対処できるでしょ。
むしろ指摘してもらえば、もっとよくなる可能性がある訳だから、喜んで受け入れれば良いのに、なぜ逃げようとするのでしょうか。
リスクや責任から逃れて得られる物は少ないと思うのですが。

そもそも上記のいい歳した方達がおっしゃってた「やらない善よりやる偽善(キリッ」は何がしかの行動とセットになってました。
例えば募金だったり、支援物資をおくったりだったとおもいます。

彼ら曰く、
「ボクはこんなことしましたよ!!やらない善よりやる偽善です(キリッ」

はぁ!?
別にやったことをただ報告したいだけなら後の言葉はいらねーだろ。
相手に行動を促してるならその言葉はねーだろ。
もっと考えろや。


と思ってしまう訳ですよ。

そもそも、こんなことを考えたのはこの間帰省した時に、実家の側の喫茶店で高校生くらいの女の子たちが会話していた内容が発端です。
A「××でさぁ、私そのとき〇〇しちゃたんだよねー」
B「マジで!!でもそれって偽善じゃない?」
A「だよねー(笑)」
ボクの想像の中では、おそらくAさんは普段そんなことをしないような子。
Bさんはそれを知ってる。ちょっと意外、もしくはキャラに合わないから偽善という言葉を使ってみた。
そんなところだと思います。
別に上の話しが悪いとは思いませんし、内容について何の感想も出てきませんでした。
なにか感想を出すとしたら微笑ましかったです。
若いなー、とか思ったりしました。

ただ、偽善という言葉に引っかかりを覚えたので色々思い返してみました。
そうしたら、日本人の中にかなり偽善という言葉が浸透していると感じました。
逃げ道をつくったり、ニヒリズムからくる発言に利用したり、自分を卑下したりする時に使いやすい言葉なのかもしれませんね。

でも、ボクは思うのです。
困っている人がいたら、進んで手を差し伸べれば良いのですよ。
何も恥じることは無いし、むしろやらないことを恥じるべきだと思うのです。
「みなさん。やらない善よりやる偽善ですよ(キリッ」

コメント

このブログの人気の投稿

【Guitar】ムスタングを改造しよう!その2(ピックアップの交換)【Fender Japan MG73/CO】

【Guitar】ギター買いました。Fender Japan MG73/CO

【機材レビュー】Fulltone / OCD